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45件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2010-10-12 第176回国会 衆議院 予算委員会 第2号

ただ、先ほど議論があったように、中国の軍は党の軍であるという位置づけだと認識しておりまして、今言われた、党の軍事委員会政府のそういったものが二つあって実態的には同じだということの御指摘がありましたが、それに加えて言えば、根本的に、まあ歴史的にと言ってもいいのかもしれませんが、かつて八路軍という言い方がされたわけですが、そういうところから中国共産党というものが歴史的に成り立っているという意味においても

菅直人

1999-07-08 第145回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

敗戦になって、成り行きで八路軍人たちと一年間生活をともにして、四六年の暮れに日本へ帰ってまいりました。何とかしてその間費やしたものを取り返そうと思いながら、改めて学校に行って教師になりました。焼け跡の学校はないものばかりでしたけれども、豊かな心と大きな希望がありました。  学習指導要領は試案でした。

北村小夜

1999-05-11 第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第4号

先日もありましたけれども、中国の八路軍古いですよ、私は生まれていませんけれども、その中に書いてある言葉があるんです、毛沢東閣下ですけれども。  毛沢東閣下はどういうことを言ったかといいますと、我々の基本方針帝国主義と国内の敵の軍需工場に依存することである。わかりますか。自分たちでつくるとは言っていない。敵の軍需工場が我々の軍需工場だとおっしゃっている。

柳田稔

1997-07-09 第140回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

日本軍がいままで、駐屯していた各占拠地から全面撤収するにあたって、八路軍はその上拠地への国府軍の進駐を阻止するため鉄道や主要道路を各所で爆破したため日本軍民帰国列車の運行に大きな障害となっている。八路軍よりも劣勢な国府軍に依存していたのでは復員促進は不可能であり、在留邦人および軍の主力を速やかに輸送するためには日本軍が自ら輸送機関を守らねばならぬ。

海老原義彦

1994-03-29 第129回国会 参議院 内閣委員会 第2号

問題は、戦争が終結したにもかかわらず、二千六百名の将兵が軍の命令で八路軍と戦うために中国山西省に四年間残留した、こういう問題であります。しかし、政府は、これは軍の命令によって残留したのではないというこの立場、これをとって、この立場からこれらの残留兵士に対して何らの措置も講じてこなかった、これが山西省残留問題であります。  

聴濤弘

1991-03-15 第120回国会 衆議院 内閣委員会 第7号

○山中(邦)委員 何となくぴんとこないのですけれども、今おっしゃっている山西軍というのは、現地残留をして閻錫山と協力をして八路軍と対抗した組織を指して言っているわけであります。それが二千六百、それはそれでよろしいのですが、正確に第一軍所属将兵現地除隊をした者はだれであるか、その総人数は幾らだということは把握しているのですか、いないのですか。

山中邦紀

1989-06-20 第114回国会 参議院 内閣委員会 第4号

これは満州でございますが、国民党軍戦争に負けて逃走しました後八路軍が入ってまいりまして、その後解放戦争が行われたわけですが、この解放戦争中に看護婦が足らないために、日本の十八歳以上三十歳以下の未婚の女性は全部強制的に徴用されました。これは本人が喜び勇んで行ったのではない、無理に強要されたんです。行かなければ遺族が困るし、現地の居留民が大変苦境に陥る状況でありました。

飯田忠雄

1981-04-09 第94回国会 衆議院 社会労働委員会 第7号

ところが敗戦後、獣医としての技術を持っておるというので今度は八路軍に引き続いて引っ張られて中国の内戦に参加させられて、ここでまた迫撃砲弾が近くで破裂して盲管銃創も受けるというけがをして、その後遺症でいまでも長いこと立っていることや正座ができない。先ほど申し上げた頭をけられた後遺症としてはいまでも激しい頭痛にしばしば襲われて記憶力が非常に減退している、こういうような状態だというわけです。  

小沢和秋

1980-03-06 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

○松田(正)政府委員 通化事件は、私が御説明するまでもなく、一般開拓団員等一般邦人でございまして、当時通化市に集結しておりました邦人が、八路軍との間で無償労役等をめぐりまして反乱のようなことになって全員射殺をされたというのが事件の内容でございますので、これまた非常に特殊なケースであると同時に、事実上そういった場所に拘束をされていたという事実もあるのではないか、こういうようなことを踏まえて、特別未帰還者

松田正

1980-03-06 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

これは昭和二十一年二月三日未明、通化省通化県の監獄に収容されていた旧満州国官吏等二千余名の者が共産路軍に反抗の嫌疑で全員虐殺された、これがいわゆる通化事件というやつであります。これも厚生省の御配慮によって援護法を適用して救済している。それはどういう理由によって救済されておるのですか。

米沢隆

1978-04-13 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

技術者としていまの新中国、当時の八路軍本人はここで「パーロ軍と言っておりました」と言っておりますが、こちらの方の軍隊にすんなり捕虜の形になって、そして捕虜生活が七ヵ年。だから、満州に合計十年いたことになるのです。  さっき、いみじくも稻村総務長官が、女性の方であるが軍人と同じだとおっしゃっておりましたけれども、私にも経験がありますけれども、まさに同じことです。これは何ら変わらない。

大出俊

1978-04-07 第84回国会 衆議院 運輸委員会 第6号

こうして農民と手を結んでやり始めますと、これは歴史的に見ましても、たとえば八路軍であったり、あるいはベトコンの例に見るごとく、これは力をもって制することは、ある意味じゃ不可能というようなことになってまいります。そうしますと、問題は農民の信頼を回復するしかないというような気もいたしますし、このまま続くならば力の対決として三十年戦争にもなりはしないか。

中馬弘毅

1978-03-08 第84回国会 参議院 予算委員会 第5号

われわれ過去四十年の中国の歴史を見ても、蒋介石が政治をやっておった時代、軍閥割拠した中国大陸、それから八路軍を中心とした毛沢東の軍団、そういうものがおった。そこへ日支事変が起こる。日支事変が起こったときに共産軍蒋介石国民軍一緒になって国共合作して日本軍を、抗日戦線を形成して日本を追い出す。その後、すぐに今度は共産軍はソ連から武器援助を受けて国民政府をたたく。

中山太郎

1976-05-11 第77回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

で、最終的に自分たちは八路軍のもとに七年間看護として尽くして、で、日本へ帰るようになったときに中国の幹部の方々から、今後日本中国との間が大変うまくいくようであればそれは皆さんが中国に対して一生懸命に尽くしてくださったということが大きな原因の一つにもなっているんだというふうな感謝の言葉をされたにもかかわらず、日本へ帰ってきたら大変何というのですか、冷たい感じがしたというふうにおっしゃって、貧しいことを

粕谷照美

1975-11-06 第76回国会 参議院 内閣委員会 第2号

日本傷病兵を護送するのは軍隊衛生兵さんばかりで、私たち看護婦技術者として、いまの新中国、当時八路軍——パーロ軍と言っておりましたが、そちらの軍隊の方にすんなり捕虜として行かされてしまいました。それも私たちが行きたくて行ったんじゃないんです。私たちは荷物をまとめて内地に帰りたいと思ったのが、そういうふうに上部の人の話し合いがあったんでしょうか、それから捕虜生活が七年続きました。

岡松八千代

1973-07-18 第71回国会 衆議院 法務委員会 第43号

その場合の敵軍はいまの中国共産党の八路軍当時パーロと言っておったそうですけれども、捕えられて八路軍に介抱されて傷をなおしてもらって、八路軍一緒に行動させられた。そうして戦闘に参加をさせられたわけではありませんし、八路軍に入ったわけでもありませんけれども、行動をともにさせられた。その間その兵隊は何とかして日本軍に戻りたい。

結城昌治

1973-06-26 第71回国会 参議院 社会労働委員会 第14号

終戦になりまして、あの混乱期日本軍隊は八路軍が徹底的な敵としてやっておったわけであります。だから、閻錫山軍がこれは八路軍と対峙したわけでありまして、われわれの兵団でも昔の大隊長クラス部隊長クラスの者が——これは名前は言いませんが、訓辞をたれて、そうして閻錫山軍参加をせよというふうな指令を出したぐらいなものであります。

玉置和郎

1973-04-09 第71回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第4号

この前大臣にちょっと私、お話ししましたが、日本が戦いに敗れたときに、なぜ大陸におった二百万の日本軍、また数十万の在留邦人を帰したんだ、あれ、帰さなかったらいいじゃないか、帰さなくて、あの武力をもって八路軍と戦わしたら、現在の中華人民共和国なんてなかったじゃないか、ことに、あの軍隊の中に田中総理が、あのとき何か上等兵だったそうだか知りませんが、私ははっきりしません、さだかじゃありませんが、おったじゃないか

玉置和郎